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看護師の仕事

看護師として働いた15年を振り返る、整理する、問題を考える

看護師として働きだして、はや15年が経ちました。

10年目以降から自分の年数が何年目か覚えていません。

育休も挟んだので、15年目なのか、15年経ったのかはわからないんです(笑)

この15年、何度も何度も辞めたいと思いました。

それなのにどうして15年も看護師を続けてこられたんだろうと考えることにしました。

色んなことがあったな…と思い出話が多くなってきて、ここはざっと振り返った方がいいような気がしてきたんです。

超個人的なお話ですが、誰かの参考にもしなるならば嬉しいな。

看護師になるのを目指している方、看護師になりたての方、看護師として続けていこうか迷っている方…。

いろんな方がいると思います。

こんな感じで15年働いた看護師もいますよ。

看護師としての15年を振り返る

新人時代から結婚への不安を感じた7年目

今でも新人として入職した時を思い出します。

緊張しすぎて死ぬかと思った初日。

めちゃくちゃきれいなプリセプターが担当で、さらに緊張しちゃったのを覚えています。

入職2日目でまさかの急変にあたりました。

処置中に心肺停止して、「あれ?息していない?」からの心臓マッサージ。

人の体にするのは初めてで、ものすごく怖かったのを覚えています。

この15年で本気の急変にあたったのはあの時と、7年目くらいのもう1回と、15年でたった2回だけだったんですよ。

なかなかの確率ですよね。

先輩にいじめられて辞めてしまった同期、部署が合わなくて異動になった同期…。

入職して2年目には同期はいませんでした。

3年目は可愛いプリセプティがついて、本当に真面目でいい子、良いナースになってくれて、私の誇りです。

4年目以降は一通り仕事ができるようになり、いつ異動になるかと恐怖に感じていました。

委員会活動や、チームリーダーになったり、責任のある仕事もたくさん任されるように。

キャリアをどう積み重ねていこうか考えるとともに、自分の人生についても考えるようになりました。

このままバリバリ働き続けるのか、結婚して、子どもを産むのか。

7年目くらいのことだったと思います。30歳を手前にして色々と不安になっていました。

同じころに入職したスタッフたちは結婚したり出産してどんどん辞めたり休みに入っていったからです。

7年目研修、びっくりするくらい同期の子がいなくなってて、研修生同士で「あんたも生き残ってたの?!」みたいな会話をしたのを覚えています(笑)。

今の旦那さんとは実は婚活サイトで知り合いました。

お互いに検索でポチっとしあって、1年半ほど付き合い結婚。今でも仲良く暮らしています。

結婚してしばらくしたら、子供はそのうちできると思っていました。

妊娠・出産・育休・復帰まで

1年ちょっとたって、あまりにも妊娠しないため、婦人科健診を受けたところ、立派な子宮筋腫が邪魔をしていることがわかりました。

半年ほどかけてホルモン剤を打ち、子宮筋腫が小さくなってから摘出。

その後1年は子どもを作ってはいけなくて…。

結婚4年目にして子どもを授かりました。娘でした。

妊娠して10カ月まで働き、お腹が大きくても夜勤をやりました。

お腹が張るという感覚がわからなくて、出産前日の検査で張るという感じがわかり、思っていたよりも

張っていたことに気づきました。

なんとか無事に生まれてくれてよかった。

子宮筋腫を手術で取った後なので帝王切開で。この辺は出産を控える方の参考になりそうだからいつか記事にしますね。

産休・育休はバタバタだったけど、初めての長期のお休み。

仕事でのストレスがなくて、心はとても健康的でした。

言葉づかいがきれいになり、イライラすることも減ったような気がします。

「こんなに病んでたんだな…」と思いましたね。

そして仕事復帰の時期が近付くと、ものすごい不安が襲ってきました。

「ちゃんと働けるだろうか…」

「送り迎え大変そうだな、仕事終わるかな…、家事もできるのかな」

「熱が出たらどうしよう、早退とかお休みすつとか言いにくいな…」

「子どもが新しい生活に慣れるだろうか」

看護部の方と復帰前の面談をして、育児時短勤務をとり、新しい職場でスタートすることになりました。

仕事復帰から父の死まで

新しい病棟での仕事復帰でまず仕事を覚えるのに必死。

病棟が変われば国が変わったかのように、業務の進め方や、物の場所、患者さんの疾患から治療方法まで全然違います。

さらに初めての子育てと並行しなければならなくって、朝の準備から戦争、イヤイヤされた日には遅刻ギリギリで冷汗ダラダラかきながら出勤してましたね。

業務開始前にひと仕事終えた感じで、仕事が終わってお迎えに行って、また家事をして…。

クタクタで子どもと一緒に寝て気づいたら翌朝、そんな毎日でした。

育児時短勤務を取らせてもらいましたが、15:30までの勤務、たった1時間早く仕事を終わらせるのも大変。

最後の1時間が1日のまとめに入るのに、すごく大変ですよね。

時間内にできなかった仕事を残る人にお願いするのがとっても苦痛でした。

職場の人が優しかったので快く引き受けてくれて、本当に助かりましたが…。

ただ、久々に働いて、「やっぱり看護師の仕事が好き!」って再確認できましたね。

ほとんど家族としか一緒にいなかった1年間。

患者さんと関わると、「自分が必要とされている」「自分が価値のある人間」だと思えました。

子育てママの苦しみや孤独感を理解できるようになった気がしています。

何とか1年経ったころ、師長が変わりました。

現場をかえりみない師長で、ベッドの空きが病院内になければ専門外でも患者を引き受けてしまったり。

職場の管理をしないので、主任がほとんどを任され、いらない業務が死ぬほど増えたり。

やたら他の部署に応援にだし、自部署の業務がまわらなくてぐちゃぐちゃになったり。

全然時短時間で終わらず、15:30が18:00に帰るとかザラでした。

ナースステーションに誰もいないし、ナースコールは鳴り続けるので、帰るに帰れない。

日勤者は私よりもさらに遅く帰っていました。

私が日勤時間が終わる頃に残っていても気にしない師長。

というか、病棟にほとんどいなかったな。看護部に訴えても何もしてくれなった。

そんな仕事が荒れ放題のときに、父の大腸がんがわかりました。

自分の勤める病院に入院することになり、自分で何もしなかった父だったので、休憩中は父の面会、休日も父の面会。

仕事中に病状説明や、手術の立ちあい…。

人工肛門を造ったから、仕事帰りにストーマケアをしたり。

イヤイヤ期真っ最中の娘の相手をしながら、娘もあの時はまだ2歳なのにがんばったな。

師長は1年で異動し、父も令和になる前に、闘病を始めてからたった1年で亡くなりました。

あの1年間は看護師人生の中で本当に仕事を辞めることをずっと考えていましたね…。

新しい師長の元変わる体制…そして病棟を離れることに

新しい師長のもと業務改善が進み、定時に帰るようにめちゃくちゃ言われるようになりました。

定時に帰れるのは、すごくうれしかったし、前の年の異常さが身に染みてわかり、おかしい、ということさえも疲弊しすぎて分からない状況だったんですよね…。

ただ、定時に帰れないと、どうして帰れないのか人前で怒られ、いい年になってボコボコに言われ、辛かったな…。

定時に帰ることを意識すると、患者さんとの時間を削ったり、とにかく業務をこなすことに必死で「看護をしている」感じがなくなるんです。

確かに定時に帰ることはとても大切だけど、大切なものを削っているような気にもなりました。

もちろん自分たちが仕事の効率を考えて業務改善したり、努力したりすることは大切。

…でも本当にそれだけなのか。

自問自答する中、R2年度は「看護倫理」の研修をすることになりました。

対象とする患者に来る日も来る日も、時間外でも夜勤明けでも会いに行きました。

じっくり、本当にじっくり患者さんと向き合いました。

患者さんの人生や想い、病気に対する考え、価値観、家族との関係…

今まで生きてきた人生を見せていただき、はっとします。

「あ、看護ってこういうことじゃないの…?」

患者さんとひとくくりにし、「その人」を見ていなかった。

今まで生きてきた人生があって、これからも生きていく。

日々の業務に必死すぎて、できなかった、見ないようにしていた…?

そんな中、地域包括支援センターへの異動が決まり、看護師人生で初めて病棟から離れることになったのです。

地域包括支援センターで病棟から離れてみて

地域包括支援センターにR3年4月から異動になりました。

病院内にあるなんて、恥ずかしながら知らなくて、どんな仕事をするのかもほとんどわからない状態での異動。

4月1日、出勤して「あ、私まったくの新人に戻ったんだ…」

と冷汗をかいた覚えがあります。

地域包括支援センターでは「保健師」としての配属ですが、病院受診のすすめだったり医療機関へつなぐために、15年の看護師経験は大いに役立っています。

初めて病棟から離れて感じたこと。

  • 人当たりが優しく同僚から怒鳴られることがない
  • 利用者さんひとりひとりの人生観や価値観をじっくり寄り添える
  • 患者さんのできることを見て今後の目標を立てる
  • 有休を好きに使える
  • 急に休んでもフォローしあえる
  • 夜勤がないので生活リズムが整う
  • 夜勤、休日出勤がないのでお給料は激減…

仕事がわからないことだらけだし、慣れない環境、新しい人間関係と気持ち的に大変ですが、イライラする人に気を使ったり、怒られやしないんじゃないかという緊張はありません。

とにかく優しい、利用者さん想いで、「その人」の人生、価値観、希望を第一に考えているんです。

医療と福祉での考え方や目標の違いはあるかもしれませんが、自分があまりにも医療の世界に染まりすぎていることに愕然としました。

考えていなかったわけじゃない、でも見ないようにしていたかもしれない。

どうして見ないようにしていたのか。

現在の仕事や看護師としての仕事を比べてみて、看護師が働く上での色んな問題を考えています。

ずっと昔から考えていた

看護師がもっと生き生きと働けるようにするには?

この考えに対して、ようやく前向きに取り掛かろうと考え、行動しようと思うようになりました。

看護師としての15年を振り返って

私が新人のころから看護師の人手不足は問題でした。

看護協会は取り組みをしているようですが、スタッフが潤っているような気持ちにはなりません。

看護師のストレスについても問題視され、メンタルヘルスの研修はありますが、どうして看護師ばかりが自分のメンタルの守り方ばかりを考えなければならないんでしょう。

ストレスが起きて辞めてしまいたくなるのはなぜなのか?

どうして看護師ばかりががんばらないといけないんだろう。

どうして現場のスタッフばかりががんばらないといけないんだろう。

もっとスタッフを守ってくれたらいいのに。

もっと人を増やしてくれたらいいのに。

もっと人が働きやすいように、育ちやすいようにしてくれたら

患者さんがもっと理解してくれたら

患者さんがもっと自分の人生を病気になる前から考えられたら

家族がもっと話し合っておいてくれたら

もっと他の人を思いやれたら

いつか人は死ぬんだから

もっと、もっと…

いろんな思いがこみ上げてきて、看護師だけの問題じゃないよな…なんて考えてしまいます。

「私たちががんばらないからいけないんだ」

って思っていました。

努力が足りない、勉強が足りない、まだまだがんばれるはず…

でも、本当にそうなのでしょうか。

そんなことない。

そう思うです。

キャリアを見つめなおし、看護師としてどうなっていきたいのか。

日々自問自答…

でも本当はずっと心の中にありました。

「もっと看護師が社会的地位があって評価されてほしい」

「看護師がもっと働きやすい世の中になってほしい」

心身を病んだ方々に寄り添って、人生にそう何度もないイベントいっしょに過ごさせていただく。

様々な方の人生を垣間見させていただいて、経験させていただいて…

1日だって同じ日がなく、同じ仕事がなく、こんな仕事そうできるものじゃない。

看護ってとても尊いことで、看護師の仕事って本当に素晴らしい仕事で。

だけど看護師だって人間です、命を削って働き続けるなんてできない。

たくさんの素晴らしい仲間たちが心を痛め、病んで、泣きながら去っていきました。

もっと現場の声を、看護師としての声をあげていきたいです。

私が看護師としてやりたいこと、なのかな、まだ自信はないけれど、勇気をもってやっていきます。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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りっちゃん

Another Neighbors=「もうひとつの隣人」 物理的な隣人はいくらでもいるけれど、誰なのかどんな人なのかわからない時代です。 私は、遠く離れていても側にいるような温かい「隣人」になりたい。 として温かい心のやり取りをしたい。 看護師として、地域での経験を通して、「人と人との温かいつながり」を作っていきたい。 でも私自身の大好きなものもいっぱい語って、私の人となりを知ってほしいなあと思います。
プロフィール

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