感動した本

川上未映子さんの「夏物語」の感想。生きること、子どもを持つこと…たくさん考えた

川上未映子さんの「夏物語」を読みました。

知人から「川上未映子さんの文章が素晴らしい」と聞いていて、いつかしっかり読みたいな…と思っていたのですが、「夏物語」の第1刷は2021年8月10日。

この記事を書いている時点でもう、2023年。

購入した時期は平積みされていたから、発売されて間もない頃に購入したようです。

ずいぶん温めてしまった…(;´Д`)

ここしばらく、実用書にビジネス書、食や健康、コーヒーに関する本ばかり読み漁っていて、小説からは遠ざかっていました。

じっくり腰を据えて読む小説は、子育てを始めてからハードルが高かった…と言い訳がましいですが事実。

ただ、今、このタイミングで「夏物語」を読めたのは何か意味があるように思います。

子どもをなぜ産んだんだろう、子どものいない人生だったら?

誰かに叱咤されてしまいそうですが、「なぜ子どもを持つのか」その理由を考えようにも明確な理由が出てきません。

娘のいない生活なんて、今では絶対に考えられませんが…。

「夏物語」の登場人物たちは、まるで目の前の「そこ」に息づいているかのようで、その苦しみや悲しみ、葛藤、生きていく力強さに共感したり励まされたり、応援したくなったり…。

考えて考え抜いて、でもどうしようもないこともあって。

だんだんと登場人物たちに対して他人ごとではない、いっしょに話をしてみたい、なんて思い始めました。

主人公、夏目夏子と、いっしょに考え、考え抜きました。

派手な展開があるわけではなく、たんたんと、でも確実に人生が進んでいく感覚。

のめり込みながら読みました。

ここからは、私なりの感想(振り返り?)をまとめていきます。

仕事と生活と人生

「夏物語」の序盤、主人公の夏子が30歳のころの第一部から始まります。

若かりし頃の夏子は、なんとなしに物を書きながらバイトで生計を立てる毎日。

誰に読まれるわけでもないのに、ブログに文章を書き残す…。

小説家に簡単になれるわけでもなく、20歳前後で大阪から上京して、10年。

生活の何も変わっていないのに、しっかり10年分身体がくたびれてしまったという表現になんともいえない哀愁を感じます。

とはいえ、38歳になったときには、小説が大きな賞を得てそれなりに収入を得られました。

でも、その1回の成功の後にはなにかを書きたい、なにを書けばいいのか、湧き上がるものがなかったのでしょうか、筆が止まってしまいます。

仕事をしていく上で生活のためであることは多くの人に言えることでしょう。

でも、自分がやりたいこと、好きなことをやりたい気持ちも嘘ではなくて。

やりたくない仕事よりも、やりたい仕事をやれたらどんなにいいのか…。

でも生きていくためには、ご飯を食べていくためには働かなければなりません。

小説家の仕事は簡単なものではないでしょう。

私にはまったくわからないことですが、きっとこれを書きたいんだ!、書かざるを得ない、なんて熱意や心が燃えるものがあってこその作品を作り上げるのではないでしょうか。

書きたくもないことを書くのは、苦行に等しいでしょう。

でもそれが売れるとは限らない。

人が求めているものを書こうとすれば、自分が心から湧き上がるものに反するかもしれない。

綱渡りのような生活になっていくでしょう。

この世界にどれだけの人が小説家を目指して、小説家として食べていけるのか、きっとほんの一握りですよね。

夏子の仕事と、生活と人生とを思うと、自分の仕事に対しての想いも湧き上がってきます。

40歳を迎えるころには、人生や仕事について、このままでいいのだろうか?このまま年を重ねて死んでいくのだろうか?と思う転換期に思えます。

職業は全く異なりますが、このまま人生を続けていっていいのかか.看護師として走り続けていっていいのか悩んでいます。

きっと同世代の方は同じ思いを巡らすのではないでしょうか?

女性としての存在

夏子には9歳離れた姉・巻子がいます。

巻子は姉妹の実家である大阪のスナックで若い頃から働いていて、シングルマザーでもあります。

娘の緑子は思春期真っただ中。

登場した時には緑子との会話はなく、ノートに筆記する形でコミュニケーションをとっています。

巻子は豊胸手術をしたいと夏子に告げます。

夏子に会いに上京し、豊胸手術のできる美容外科に一人で出かけてしまったり…。

巻子には年齢に対する焦りのようなものを感じ、女性としての価値とはなにか?考えさせられるものがあります。

スナックで働き、常に女性としての自分の商品価値が問われているような気がします。

そして、物語の後半部分では主人公の夏子自身が女性としての生き方に深く深く悩みます。

セックスができない自分、結婚しなくてもいいけど、子どもがほしい、というか自分の「子どもに会いたい」。

だけど、精子バンクについて調べ、精子バンクで生まれた当事者たちに会うことで、自分のしようとしていることがとても罪深いことなのかもしれないと葛藤するのです。

女性として生きることについて考えさせられます。

女性としてのまわりからの評価、視線。

女性の幸せとは?

女性としての価値とは?

人との出会い、妊娠できる年齢のタイミングには限りがある。

女性としての普通って何?

誰かの犠牲に成り立ってもいいのか?

倫理観とエゴと正解のなさと…、夏子と一緒になって悩みました。

そして「もし子どもを産んでいなかったら?」なんて自分の今までの人生を振り返ってしまいました。

親と子の関係

夏子の姉・巻子とその娘の緑子とのやりとりの中に、思うところがあります。

物語序盤の、巻子が豊胸手術をしようとするところ。

緑子と口も利けない状態になり、戸惑う巻子の、母としての気持ちに思いをはせました。

自分の生き方と娘の生き方。

娘は確かに自分のお腹から出てきたのだけれど、もちろん自分とは別の人です。

赤ちゃんの頃から育ててきたのに、娘がどうして口を利かないのかわからない。

私の娘は今7歳ですが、すでに娘とのやりとりに悩むばかりです。

家庭や保育園の小さな社会から、学校という広い世界に娘は入り込みました。

もっと小さなころは食事やトイレ、着替えやお風呂など身の回りのお世話がメインでしたが、多くの友だちと関わることで娘もいろいろな葛藤を抱いているようです。

あらかた自分のことは自分でできるようになった今は、まるで娘の「心」の成長の支援をしている気分です。

もっと大きくなれば、やがて思春期を迎えるでしょう。

自己を確立していく上で、気持ちが不安定になることもある。

そしてまさに巻子の娘・緑子は思春期真っただ中。

多感な時期に母の豊胸手術というデリケートな問題。

もしかしたらシングルマザーのために仕事で緑子とのゆっくりとした時間をとれなかったのかもしれない。

東京に夏子を訪ねてきた、巻子と緑子がついにぶつかる時がきます。

2人が取っ組み合いになって、ぐちゃぐちゃになりながら本音をぶつけ合うシーンは涙が出てきました。

言いたかったけれど、言えなかった、緑子の、母・巻子を大切に思う気持ち。

お互いがきちんと想い合って、心配しあっていて気づかされたとき、より母娘の関係が強くなったように思います。

いつか私にもそんな時が来るのであろうか。

娘と本気で話し合える心の中をさらけ出して話し合えるような関係でいたい。

それが叶うのかは私次第なのだと思います。

娘はどんどん私から離れていく。

私の知らないところで、いろんな出会いや別れ、傷ついたり、喜んだり、恋をすることもあるでしょう。

間違いを犯すこともあるだろう。

もちろん私だって、最大の信頼を寄せていた母という存在が、娘が大きくなるにつれただの1人の人であったと、落胆し腹だたしい気持ちになるときもあるだろう…。

その時、私たちの親子の関係が問われるんだろうな…。

怖いような、だけど娘の心に素直に、正直に、正面から向かっていけたら…と思っています。

子どもを産むということ

「夏物語」の物語終盤。

主人公・夏子が「自分の子どもに会いたい」、という気持ちを抱えます。

かつての恋人とのトラウマかセックスができない夏子。

結婚はせずに子どもを産むには、と、たどり着いたのが「精子バンク」を利用しての人工授精で妊娠する方法でした。

情報をかき集める中、自身が人工授精により生まれた当事者「逢沢」と出会います。

逢沢とのやり取りの中で互いにひかれあっていく様子は高揚とハラハラする想いがあり、2人の選んだ道・この物語の結末も、こんな選択があるんだ…と、神様のいたずらのような、人生の不明瞭さで「あぁああ…」なんて言葉にならない展開でした。

なかでも、「逢沢」と同じ人工授精で生まれた「善百合子」と夏子のやりとりは、衝撃的すぎて、すでに母である私は、頭をガツンと後ろから思いっきり殴られた気分になりました。

「子どもは生まれるのを自分では決められない」

もう本当にそれしかなくて、子どもたちは生まれるか、生まれないかの選択すらできない存在だったんです。

親たちが「子どもに会いたい」と思って望んで「子どもを産むことを選ぶことができる」のに、です。

もしその子の父親がだれかわからないことがわかっているのに、精子バンクを利用して産むという選択をとるのは?

虐待を受ける子もいる、貧困に悩まされる子もいる。

高齢出産で障害が出る可能性が高いのをわかって出産して、障害がある子もいる…。

勝手に産んで、人工授精に関わらずエゴなのではないか…。

子どもを産んだ身として、震えました。

目の前にいる娘を、私は勝手に生み落として、この世に誕生させた。

私が望んで、です。

妊娠する前は、女性として子を産むことが当たり前だと、とらわれていて、必死にもがいていました。

結婚してからなかなか授かれなくて、私には子どもがいない、足りないものがある…なんて気持ちがなかったかと言えばウソになる。

そんな自分の罪深さを、浅はかな考えを善百合子に指摘されたように思います。

夏子は思い切って人工授精に踏み切ろうとしていたところを、一気に思いとどまります。

でも迫りくる年齢という出産のタイムリミット。

あきらめてしまえば一生自分の子どもに会うことはできない。

「子どもを産むということは?」という究極の問いに、夏子といっしょに頭を抱えました。

答えはなくて、ひとりひとりが答えを出すしかない問題です。

簡単に答えを出せる問題でもないのに、タイムリミットは決まっていて、選択しなければならないのです。

どれだけ多くの女性が思い悩んでいるのでしょう。

そして、生まれることの選ぶことのできない子どもたち。

この世に産み落とした以上、自分の娘を大切に、大切にたくさんの愛情をこめて育てていきたいと思いました。

そして、この世に生まれる子供たちが、幸せで、安心して、心穏やかにいてほしいと願わずにはいられません。

誰一人同じ人生はない、完璧じゃない、それでも生きていく

「夏物語」に登場する人物たちは、私のすぐ隣にいてもおかしくないくらいリアルな人物ばかり、小説の中でイキイキとしていました。

どの登場人物たちも、みんな過酷で、自分自身の存在が揺らぐような体験をしています。

でも、それでも生きていくんです。

自分が不幸の中にいる時、他人がとても幸せそうに見えます。

笑顔でいても、もしかしたら知らないところで大変な目にあっているかもしれません。

目で見ることが全てではない、生きている以上、みんなそれぞれの人生を生きていて、簡単に比べられるものなんかじゃない。

まるで自分一人だけに不幸が起きているように思えても、隣のあの子も知らないあの人も、自分の人生の舞台に立って幸せも不幸も経験しているはずなのです。

完璧な人生ってないですよね、いい人生だったかどうかは死ぬ間際にわかるのかどうかもわからない。

もがいて、もがいて生きていく登場人物たちの生きざまに共感とまるで知り合いのような近しい気持ちになって一緒に悩みました。

「夏物語」には、問いかけがたくさんあります。

明確な問いかけでもなく、明確に答えを出せるわけでもなく、淡々と、確実に物語が進んでいくのが、たまらなく素晴らしい表現なのだと思いました。

川上未映子さんの小説を読んだのは「夏物語」が初めてです。

他の小説もぜひ読んでみたい!と思うほど感銘を受けました。

どうぞ、ぜひ気になっている…という方は読んでいただきたいです!

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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りっちゃん

Another Neighbors=「もうひとつの隣人」 物理的な隣人はいくらでもいるけれど、誰なのかどんな人なのかわからない時代です。 私は、遠く離れていても側にいるような温かい「隣人」になりたい。 として温かい心のやり取りをしたい。 看護師として、地域での経験を通して、「人と人との温かいつながり」を作っていきたい。 でも私自身の大好きなものもいっぱい語って、私の人となりを知ってほしいなあと思います。
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